yukarashi’s diary

おもに映画や写真について書いています。ドキュメンタリーが好きです。

『オマールの壁』ハニ・アブ・アサド監督

予想していたよりもストーリーが複雑で、かといって小難しい話ではなくエンタメ要素もあり、多くの人に届くような強度のある映画だった。


占領状態が続くパレスチナの青年・オマールが主人公。自分の身を守ることと仲間を裏切ることの狭間にある彼の行動は、観客としてどちらが良いのかとも判断できず、だからすっかり感情移入して主人公の心情を応援することもできなくて、観ているこちらの気持ちまで揺らいで翻弄されてずっとハラハラしながら観ていた。友人や家族、大事な人のことを信じることは、平穏な暮らしにおいてこそ成り立っていると思わざるをえないシーンがたくさんあって、何とも言えない気持ちになる。自由に発言・行動できないどころか、普通に暮らそうと思っても命の危険にさらされている生活の中で、どれだけ人の心が蝕まれていくのかということを嫌でも考えさせられた……というか映画観ているあいだ私はずっとそればかり考えていた。

 

そして映画のラストシーンもやはり、「で、結局この問題の出口っていったいどこにあるの?」という問いをバンッと突き付けるような終わり方。パレスチナイスラエルの問題を扱った映画なのだが、本作は宗教とかそういったものにことさら重点を置いた描き方ではないためか、自由を制限された状況下にいる人々のドラマとして、多くの人の心に響く作品だと思う。

アップリンクの『webDICE』の特集記事をはじめ、監督インタビューやレビューもたくさんあるので、観終えてから読むとより一層理解しやすくなるし、様々なテーマで読み解けるからすごく興味深い。

映画『オマールの壁』公式サイト

 

「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」@埼玉県立近代美術館

 その昔、高校生の頃、写真部の顧問から「座礁した船」を撮影しに行くよう勧められた。地元の港で船が座礁して(どの程度の規模の船だか、何が原因でそんな事故が起きたのか…詳しいことはもう忘れたが、たしか当時地元の新聞ではニュースにはなっていた)、写真のモチーフとしてインパクトがあるし、めったに撮れるシチュエーションではないからという理由でその顧問の先生はおすすめしてくれたのだと思う。当時は被写体としてあまり惹かれなかったので、その船を撮りに行くことはなかったが、大人になってから、あの時「座礁した船」ってどれくらいの大きさだったのかなと考えることがある。

 

先日、埼玉県立近代美術館で写真展「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」を見た。感想をものすごくざっくり言うと、カメラという新しい技術に熱狂したお金持ちが、その技術を試しながらめちゃくちゃ楽しんで写真を撮っている、そんなスタンスの作品がたくさん。 スポーツをする友人や自動車、飛行機など、ダイナミックな動きの一瞬一瞬を捉えた写真からは、カメラを持つことによって新しい物の見方を獲得したことの喜びが伝わってくる。
 作品の中には、ラルティーグが家族を総出演させて作った映画作品もあり、トリック撮影や役者の動きのコミカルさなどを見る感じでは、色々な映画を見て研究していたのかなーと思うような、思いのほかちゃんとした仕上がり。
 晩年は作品が雑誌に掲載されたり、さまざまなアーティストと交流を持ち、映画の撮影現場やスチールを撮ったりしていたラルティーグ。今回の展示で日本初公開となったカラー写真もとても素敵だった。
 今回、ラルティーグが撮った飛行機の写真を見て、「座礁した船」のことをふと思い出した。珍しいものを見にいきたい、カメラを持ってそれを写真に収めたいという視覚的な欲望。そういう単純な…見ることへの好奇心みたいなものが写真を撮る動機なんだと改めて思ったし、その好奇心がとても明るい形に表現されているのがラルティーグ作品の魅力のように感じられた。

 

Jacques Henri Lartigue, Photographer

Jacques Henri Lartigue, Photographer

 

 

ジャ・ジャンクー『長江哀歌』

 4月23日より、ジャ・ジャンクー賈樟柯)監督の『山河ノスタルジア』が公開されるので、予習を兼ねて『長江哀歌』鑑賞。過去作では『一瞬の夢』と『世界』を観ているが、エンタメ作品ではなく尺も長いので少しウトウトしてしまった記憶が…。 
 
 最近の作品は観ていないので、どんな作風だったっけ?と思い出しながらの鑑賞だったが、絵面を見ただけですぐ、「あ、ジャ・ジャンクー!」という感じ。ある時代の共通体験を思い起こさせるための流行歌や、登場人物が所有するケータイ電話の着信メロディ、主人公の年下の仕事仲間がチョウ・ユンファの映画ファンという設定…等々、いつもながらストーリー展開は派手でないけれど、やはり良かった。
 
 すべての作品を追いかけていないので、何とも言い切れないが、ジャ・ジャンクーが描くモチーフや通底するテーマはざっと作品名を挙げていくだけでも一貫している。本作『長江哀歌』は、三峡ダムの建設でやがて水没する奉節県が舞台。『四川のうた』は中国の巨大国営工場で働く労働者たちを描いている。 
 
 レビューをネットで色々見てみると、『罪の手ざわり』とかはわりとドラマチックらしいので、『山河ノスタルジア』もこれまでとは少し違うのかな…と期待を寄せつつ、彼の作品がコンスタントに日本で劇場公開されていることを非常に有り難く思います。

 

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「テロルと映画」(四方田犬彦著)を読んでから、マルコ・ベロッキオを観た

テロルと映画 - スペクタクルとしての暴力 (中公新書)

テロルと映画 - スペクタクルとしての暴力 (中公新書)

 

 「テロルと映画」(中公新書四方田犬彦著)が非常に面白かったので、本書で取り上げられている映画、巻末リストにピックアップされていた映画をちょこちょこと鑑賞中。

 本書の1章分を割いて言及されているマルコ・ベロッキオ作品については、『眠れる美女』しか観たことがありませんでした。ただ、自分にとって『眠れる美女』の印象はとても大きく、これは!ベロッキオのほかの作品も観なければ!と思っていました。ストーリーや「尊厳死」というテーマももちろん大事なのですが、それよりも映像表現そのものが自立している感じにびっくりしたのです。

 今回、手始めに観てみたのは『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』。物語世界の中に出てくる多数のスクリーン、登場人物の回想シーンというよりはコラージュのようにして頻繁に挿入されるニュース映像(あるいはそれ風のもの)など、多層的な語りはベロッキオの特徴のようです。『眠れる美女』を観たときにベロッキオすごい!と感じたのもまさにこういった映像表現で、そのときはこの感動を言葉に上手く表せなかったんですよね、私の頭では……。しかし本書で四方田氏はこう書いています。

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 「端的にいってベロッキオが目的としているのは、映画で政治的事件を描くことではなく、映画を政治として成立させることなのである。」

『テロルと映画 スペクタクルとしての暴力』(中央公論新書/四方田犬彦著)P152

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 具体的にベロッキオ映画のどこが好きなのだろうか?ともやもやしていた私はこの文章を読んでめちゃくちゃ腑に落ちました。『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』で歴史的出来事・人物を描くにあたり、ベロッキオ監督は多くの人が共通の記憶として持っている映像(ムッソリーニの顔、ムッソリーニが演説する姿、その演説に熱狂する群衆……)を上手く利用するように試みながら映画を作っているのではないだろうか、と個人的には思いました。ただ、本作は“ムッソリーニの恋愛模様を描いた史劇”って感じではないので、そういったドラマを期待している方はやめたほうがよいと思います。

ちなみに「テロルと映画」のベロッキオの章は『夜よ、こんにちは』に関する考察が大部分を占めていて、この考察も素晴らしいので、次は『夜よ、こんにちは』を観ないと!です。

 

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眠れる美女 [DVD]

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ミランダ・ジュライ「あなたを選んでくれるもの」(新潮クレスト・ブック/岸本佐知子訳)

 映画監督、作家、コンテンポラリーアーティストとして活動するミランダ・ジュライの新刊。ミランダ・ジュライが監督・脚本・主演を務めた映画『ザ・フューチャー』(2011)をきっかけに彼女の作品をきちんと認識するようになり、それ以来新作を心待ちにしていました。

 本書「あなたを選んでくれるもの」は、映画『ザ・フューチャー』の脚本執筆のための取材活動から生まれたインタビュー集です。脚本執筆に行き詰ったジュライは、フリーペーパーの売買広告に記事を出す人々とコンタクトを取り、実際に彼ら(彼女ら)の家を訪れてインタビューを行うことにする。さまざまな背景や物語を持った人々が、自らの人生を語るインタビュー形式のやりとりと共に、その生きざまをミランダ・ジュライが見つめ、独特の表現によってすくい上げる。短編集「いちばんここに似合う人」で見せた彼女らしい文章表現は、インタビュー集である本書でも顕著。加えて、映画『ザ・フューチャー』ができあがるまでの経緯やテーマについての言及も多いので、映画を再見しながら答え合わせをするようなつもりで楽しむのも良いと思います。

 わりと最近になってミランダ・ジュライのことを認識するようになったので、彼女のアート作品は未見です。機会があればすごく見たいのですが。ちなみに、ミランダ・ジュライのパートナーである映画監督、マイク・ミルズによるドキュメンタリー『マイク・ミルズのうつの話』も面白い作品でした。(DVD化はされていないようです)

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

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「生誕110年 映画俳優 志村喬」展@国立近代美術館フィルムセンター

 このところ欠かさず足を運んでいるフィルムセンターの企画展。今回のテーマは志村喬です。私にとって志村喬といえば、やはり黒澤明の『生きる』のイメージが一番大きいです。と言いますか、出演作品をあまり観たことがありません。志村喬三船敏郎と並んで、黒澤映画の常連俳優で出演作も多数。二枚目俳優ではありませんが、一度見たら忘れられない風貌と存在感で、個性的な役柄をたくさん演じています。映画のスチールや当時のポスター(海外版もあったりする)、書き込みされた台本などの展示品が充実しているのが、さすがはフィルムセンターならでは。これまでも何度かフィルムセンターの展示を見ていますが、この監督ってこんな字を書くのかーみたいな小さな発見も映画ファンとしては結構嬉しいものがあります。今回見たなかでは、五所平之助監督の手書き文字がおしゃれでした。
 ところで、映画人の記念館や博物館って日本にどれくらいあるんでしょうか?調べると色々あるにはあるようなのですが、実際その展示の規模はどのくらいなのか……。私が行ったのは、愛媛の伊丹十三記念館です。伊丹十三はエッセイやCM制作など、映画以外の仕事の比重が大きいので、映画に関する展示だけではありませんが、建物もおしゃれで小さな施設ながらも満足度はかなり高かったです。
 静岡には木下惠介記念館があるようですが、ここはわざわざ行ってみる価値ありなのかどうか?行ったことがあるという人にぜひ評価を聞いてみたいですね。

「ディン・Q・レ展 明日への記憶」@森美術館

  ディン・Q・レは1968年ベトナム生まれのアーティスト。78年に家族でアメリカに移住し、カリフォルニア大学で美術を学び、現在はホーチミン在住だそうです。私は今回の展示で初めて彼のことを知りました。
ベトナム戦争」をテーマにした作品の数々はどれも印象深く、充実していました。さまざまな角度からベトナム戦争を考察し、そして戦後から今日まで繰り返され消費されてきた「戦争」のイメージをめぐる作品群でした。
 まず印象に残ったのは、戦争にまつわる写真のイメージをベトナムのゴザ編みの手法を模して仕上げた「フォト・ウィービング」シリーズ。
それから、ベトナム戦争を描いた映画『地獄の黙示録』(1979)と『プラトーン』(1986)から、似通ったシーンを編集して並列展示した「父から子へ:通過儀礼」という作品。『地獄の黙示録』の主演はマーティン・シーン、『プラトーン』の主演はチャーリー・シーンで、実際の親子です。ベトナム戦争のイメージがハリウッド映画においてどのように表象され、繰り返されてきたのか、いろいろな映画を比較したら何か発見がありそうだなーと思いました。
 ほかにも、軍服を着て当時の状況を再現しながら戦争を追体験するという趣味を持つ日本人男性のドキュメンタリー映像も興味深いものでした。実際には戦争を体験していない世代ながらも、戦争映画やミリタリーに深く傾倒している人たちのメンタリティをうかがい知ることができます。この作品の被写体となっている男性は、自分の興味を語ることがとても上手で、どうしてベトナム戦争に惹かれるのかという彼なりの理由は、理屈としては少しだけ納得できる気もしました。戦争映画や軍隊モノが好きな人といっても、軍服好きとか単にコスプレが好きな人もいるだろうし、あるいはサバイバルゲームが趣味という人たちもレジャーとして楽しむ人、戦争を疑似体験したい人…と、実態は人それぞれなのだろうと思えてきました。

 なかなかボリュームのある展示で、私はじっくり2時間掛って鑑賞しました。平日22時まで開館(火曜除く)なんて、大変ありがたいです!