yukarashi’s diary

おもに映画や写真について書いています。ドキュメンタリーが好きです。

『チリの闘い』(パトリシオ・グスマン監督)@ユーロスペース

 パトリシオ・グスマン監督による三部構成のドキュメンタリー映画。去年、『真珠のボタン』を観て初めて知ったパトリシオ・グスマン。『チリの闘い』は1975年から78年にかけて制作された作品で、2015年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたのが日本初上映にあたり、世界的には有名にもかかわらず日本に紹介されるのが遅れたドキュメンタリー作家とのこと。

 

 1970年、チリでは選挙によって成立した世界初の社会主義政権が誕生。サルバドール・アジェンデ大統領は労働者階級を中心に民衆の支持を得ていたが、右派の保守層やアメリカ政府との軋轢が生まれ、チリの社会は混乱を極める。やがて、アメリカからの支援を受けた軍部によるクーデターによりアジェンデ政権は崩壊。本作はこのクーデターに至るまでのチリ国内の政治的緊張を描く。

www.ivc-tokyo.co.jp

  よくこんな映像が撮れているものだと思える記録映像が続きますが、この軍事クーデターの後、グスマン監督は逮捕・監禁されるも処刑の難を逃れ、フランスに亡命。奇跡的に撮影済みフィルムは国外に持ち出され、こうして今上映されているわけですが、公式サイトの解説を読むと、撮影はほぼ秘密裡に行われ、カメラマンは撮影後に行方不明となったなど…数々の苦難を乗り越えて仕上げられた作品だということが分かります。

  

 今日9月11日のユーロスペースの上映では、太田昌国さん(民族問題研究/編集者)のトークをあわせて聞くことができ、当時の時代背景とチリ情勢についての説明は、本作を理解する手助けになりました。トークで印象に残ったことをざっくり要点だけ書くと、

・1970年に成立したサルバドール・アジェンデ政権は、社会主義政権だが民主的な“選挙”によって成立した政権(これは歴史的にとても珍しい)

・映像を観てもわかる通り、ブルジョワ階級と労働者階級の人たちの身なりや暮らしぶりには大きな差がある。チリは貧富の差が大きい国

・チリの基幹産業は銅鉱山で、国に大きな利益をもたらす産業なので国有化という流れになるが、お金になるがゆえに多国籍企業やアメリカによる妨害が起こった

 

などなど、共産主義の脅威を感じていた時代とはいえ、アメリカのやり口ってすごいな。。時代状況が全く違うけれど、日本にも石油とか鉱山とかお金になる産業があったら、アメリカの占領後、今とは異なる関係性になっていたのかも…なんてことも考えました。

 

 1973年の9月11日、米国CIAの支援を得たピノチェト将軍率いる軍部はクーデターを断行。その後、ピノチェトによる独裁体制は約16年にわたって続く。9月11日のこの出来事について、私はこの映画を観るまで知りませんでした。  

と思って調べてみたら、ピノチェト政権下についての本はたくさんあるようで、G.ガルシア・マルケスルポルタージュっていうのもあるらしい。

 

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

 

  

 『チリの闘い』公開にあわせて、先月アテネ・フランセでやっていたパトリシオ・グスマンの特集上映。残念ながら行けなかったけれど、他作品も全部面白そうなのでお願いだからまた上映してほしい。

パトリシオ・グスマン監督特集 作品解説

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ監督)

 アメリカ映画をこれまであまり観ていなくて、ざっくりとした歴史の流れと絡めて理解できるものってないかなーと思いながら、最近この本を読んでいて、 

60年代アメリカ映画100 (アメリカ映画100シリーズ)

60年代アメリカ映画100 (アメリカ映画100シリーズ)

 

 

 本書は60年代からゼロ年代まで、計5冊刊行されているシリーズで、年表付きでわりと分かりやすい。10年間ごとに100本の映画を紹介する体裁で、各映画のストーリーに関する記述が多いため未見作品が多いとなかなか頭に入ってこない部分もあるが、それはこれからレンタルでもして観ればいいとして…。

 今、私が読んでいるのは『60年代アメリカ映画100』なので、時代背景としては「ベトナム戦争」と「ケネディ暗殺」が大きな出来事で、それに加えて60年代に突入する前の流れとして、50年代にハリウッドにも吹き荒れたレッドパージの影響が続いていたことが言及されている。その話題の中で必ず触れられるのは、ハリウッドの天才脚本家、ダルトン・トランボ。ハリウッド・テンのひとりとして映画産業から追放された彼の人物像に迫った映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』が、ちょうどタイミングよく公開中ということで観に行った。

trumbo-movie.jp

 本作は、エンタメとしてもよくできていて、時代の雰囲気を理解するのにはとても分かりやすい。トランボは共産党員ゆえに映画界を去ることを余儀なくされる。投獄された後、脚本家としての仕事を失い、自分の名前を出して執筆することができない日々の中で彼は『ローマの休日』の脚本を仕上げる(それ以外にもたくさんの映画脚本を偽名で書いていた)。しかし、偽名だからアカデミー賞の授賞式でオスカー像を受け取ることもできず…。

 この映画はトランボの脚本家仲間や同志たちの友情と裏切り、そして彼をそばでずっと支え続ける家族たちの姿を描いた人間ドラマでもある。映画の最後には、ダルトン・トランボ本人が映画界復帰後にインタビューに応じる実際の映像が流れるのだが、やっとオスカー像を受け取れることと自分の名前を明かせることの喜び、そして長女への思いを語る姿に感銘を受けた。

 ただ…しかしながら、手放しにスカッと感動できないのは、今の日本でもこんなこと起こりそうで恐ろしい…と思えてしまうから。  

 映画には、オットー・プレミンジャーカーク・ダグラスが出てきて、どれもキャラクターが立っていてなかなか良かった。

スティーヴ・マックイーン 「Cold Breath」 @RAT HOLE GALLERY

 表参道のRAT HOLE GALLERYでスティーヴ・マックイーンの展示「Cold Breath」を鑑賞。絶対見に行かねば…という心意気でもなかったのですが、ツイッターでこの展示を見に行った人の感想を検索していたら、“スティーヴ・マックイーンが自身の乳首をずっとつねったり、引っ張ったりする映像が延々流れている”だけだと知り、え?どういう作品?と思って足を運んでみました。

 

 スティーヴ・マックイーンについて、私は映画監督として認識していて、日本のギャラリーとか美術館でも映像作品を展示している情報だけうっすらと知っていたのですが、実際には見に行かなかったのでどんな作品なのかは把握していませんでした。

 

 そんな中、ふと先日、映画『それでも夜は明ける』(2013)を観て(本作は自由黒人から奴隷の身となったアフリカ系アメリカ人の回想録を元にした映画)、皮膚感覚に訴えるような痛みの描写が妙に際立った印象を受けました。

 

 

 同監督の前作『SHAME-シェイムー』(2011)はセックス依存症の男性を描いたドラマで、この映画はわりと好きなのですが、それはキャラクター描写が良かったわけじゃなくて(マイケル・ファスベンダー演じる主人公は、むしろ感情なんて全く表に出さないような描かれ方だった…)、セックス依存に陥った主人公の生活シーンが延々反復していく、そんな映像の積み重ねが現代人の虚無感みたいなのを浮かび上がらせていて、題材のわりにはドラマチックなストーリー展開ではなかったのが意外で、そこが印象に残っていたんですよね。

 

SHAME -シェイム- スペシャル・プライス [DVD]

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 今回、RAT HOLE GALLERYで観た映像作品「Cold Breath(1999)は初期作品ということなので、長編映画デビュー以前のものになるわけですが、『SHAME-シェイムー』や『それでも夜は明ける』を観ていて感じた作家の視線がひとつのつながりを持って理解できて、何というか…すっきりしました。

 

 スティーヴ・マックイーンのことを検索してみると、映画監督としてではなくアーティストとしての作品は結構たくさん発表されているようなので、もっと全体像が分かるような展示を日本でやってくれたりしないかな、と期待しています。

『夜、僕らは輪になって歩く』ダニエル・アラルコン著

 最近気になる作家、ダニエル・アラルコンの小説『夜、僕らは輪になって歩く』(新潮クレスト・ブックス)を読んだ。ペルーに生まれて3歳で渡米し、サンフランシスコ在住の作家が書く本作は、内戦終結後に出所した劇作家を迎えて十数年ぶりに再結成された小劇団の公演旅行を主軸に物語が展開する。

 

夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)

夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)

 

  物語の舞台は、作家の出身地・ペルー、あるいは中米のどこかの国を想起させながらも、明確な固有名詞は出てこない架空の国である。劇作家のヘンリーと、若い俳優・ネルソンが主要な登場人物で、そこに彼らの友人や家族、恋人のエピソードが絡んでくる。 

 読み終えての感想は、文章の簡潔さゆえなのか、魅力的な人物描写がなされながらも、どの登場人物にもどっぷりと感情移入させない冷静な文体が印象的だということ。   

ダニエル・アラルコンの小説を読むのは、本作が初めてだが、訳者あとがきを見るとなかなか面白いことをやっている人らしい。

「―前作においてすでに、アラルコンの硬質でジャーナリスト的な文体は確立されていた。―(中略)―フィクションの創作と並行して、優れたノンフィクションの作品をいくつも発表しており、現在はニューヨークのコロンビア大学大学院でジャーナリズム分野の教鞭をとっている。」

ということらしいのだが、そのノンフィクション作品っていうのも読んでみたいなと思った。本作には、物語の途中から「僕」という謎の語り手が登場し、すぐにはその語り手の正体が明かされないのだが、この点において、内戦で(あるいは内戦でなくても)亡くなっていった者たちのことを誰が語るのか、本人ではない語り手が語ることは果たして真実なのか…ということも本作のテーマのひとつのように見える。実際、本作のラストで(詳細なあらすじは割愛するが)、「-外にいて僕の物語を語る資格があると信じ込んだ人間に対して、僕は何をすると思う?-」という台詞があるのだけど、この台詞にはこの物語のこれまでの語り手への信頼をひっくり返すような衝撃があった。

 

  余談だが、“内戦を背景に小劇団が公演旅行に出発する”というあらすじは、テオ・アンゲロプロスの映画『旅芸人の記録』を思い出すわけで、こっちも観てみたのだがやはりテオ・アンゲロプロスの映画は長いけど好きだ。ダニエル・アラルコンの小説とも、“反復性”という意味で描き方に共通性を感じる。 

旅芸人の記録 [DVD]

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 ラテンアメリカの作品を読むと、たいていしばらくはラテンアメリカづいた気分が続くのだが、パトリシオ・グスマンの映画『チリの闘い』も、今からすごく気になっている。

チリの闘い公式サイト

「アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること」ネイサン・イングランダー著

 海外文学にあまり詳しくないので、書評などで気になる本を見つけても、実際に読み進めてみると案外とっつきにくくて読み切れなかった…というパターンがすごく多い。しかし最近「新潮クレスト・ブックス」かつ「フランク・オコナー国際短篇賞」という括りでチョイスすれば自分好みの作品に出会えそうだと気付いた。 (ミランダ・ジュライジュンパ・ラヒリはわりと好きなので)

 と思いつつ今回手に取ったのが、「アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること」(ネイサン・イングランダー著)。作者はユダヤ教正統派コミュニティに生まれ、敬虔なユダヤ教徒として育ち、のちに棄教。ユダヤ人、ユダヤ教について詳しく知ろうとしたら、概要的なことを書いてあるわかりやすい本はいくらでもあると思うが、この小説は一風変わっていて、とても不思議な作品に出会った気分。

 ユダヤ人のコミュニティにおける人間関係、そこに集う人間同士の力関係を描いている、というのが私が感じた印象。登場人物のキャラクター描写があまりなされないのが要因なのか、ユダヤ人を描きながらも寓話的な雰囲気があるので、どこのコミュニティ内にも起こりうる狂気をじっとりと見せられているような怖さがある。そして、そのコミュニティ内のおかしな状況が、別にユダヤ人だからそうなっているというわけではなくて、自分が普段属するコミュニティでも起こりうる事態だよね、これってさ…と自身に跳ね返ってくるというか。

 この短編集の収録作に通底するモチーフのひとつは、「隠れ部屋」や「覗き部屋」「認知症患者たちが集団生活するキャンプ」といった閉鎖的な空間。こういうモチーフって映画とかの視覚表現ではわりと描きやすいと思うのだが、小説でそれをやっているからこの本は不思議な感じがするのかな…と、今この文を書きながら改めて思ったり…。私としては、本書の良さを十分に伝え切れないのだけれど、ちょっと変わったもの触れたい人にはぜひ読んでほしい。

 

アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること (新潮クレスト・ブックス)

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ペンブックス19 ユダヤとは何か。聖地エルサレムへ (Pen BOOKS)

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「あの素晴らしき七年」 エトガル・ケレット著

 雑誌で書評を見て気になっていた新刊本「あの素晴らしき七年」 (新潮クレスト・ブックス) 。さくっと読めてすごく良い作品だった。
「愛おしい息子の誕生から、ホロコーストを生き延びた父の死まで」という帯のキャッチコピーを見て、父親の誕生日にあげようかなと考えていたが、予想以上に面白かったのでまだしばらくは自分の手元に置いておくことに。
 

  作者のエトガル・ケレットは、イスラエル・テルアビブ生まれ。本作は家族のエピソードを中心に綴った自伝的エッセイで、日常生活の描写にはテロや空襲警報など決して平穏とはいえない出来事も起こる。楽しいことも耐えられないほど辛いことも、いっしょくたにやって来るのが人生なんだと噛みしめながら、ほろっときたり、笑えたりする独特の描き方に魅了された。

 例えば、徹底的にリアルな描写を目指した映画より、虚実ない交ぜな映画のほうがリアルな心情がより伝わってくる場合が多々あって、そういうのってアートではよくあるけれど、実際の人生においても大げさな物語や作り話が生きる力を与えてくれることもあるのだと気づかされた。
 また、本作を読むと「親が子供に難しいことをわかりやすく説明するために、子供向けのたとえ話を考えること」についても色々考えたくなる。私は親になったことがないし、こういうのってすごく難しそうだなと常々思っているのだけれど、さすが小説家は違う…。しかもそのたとえ話が説教臭くもなくて、優しさとか知性があって…もう…。 
 訳者あとがきによると、エトガル・ケレットはイスラエルの新しい世代を代表する人気作家らしい。でもって、映画監督である妻と共に撮った映画もあるらしい。ってことで、今後も追いかけていきたい。

 

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

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ジェリーフィッシュ [DVD]

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『オマールの壁』ハニ・アブ・アサド監督

予想していたよりもストーリーが複雑で、かといって小難しい話ではなくエンタメ要素もあり、多くの人に届くような強度のある映画だった。


占領状態が続くパレスチナの青年・オマールが主人公。自分の身を守ることと仲間を裏切ることの狭間にある彼の行動は、観客としてどちらが良いのかとも判断できず、だからすっかり感情移入して主人公の心情を応援することもできなくて、観ているこちらの気持ちまで揺らいで翻弄されてずっとハラハラしながら観ていた。友人や家族、大事な人のことを信じることは、平穏な暮らしにおいてこそ成り立っていると思わざるをえないシーンがたくさんあって、何とも言えない気持ちになる。自由に発言・行動できないどころか、普通に暮らそうと思っても命の危険にさらされている生活の中で、どれだけ人の心が蝕まれていくのかということを嫌でも考えさせられた……というか映画観ているあいだ私はずっとそればかり考えていた。

 

そして映画のラストシーンもやはり、「で、結局この問題の出口っていったいどこにあるの?」という問いをバンッと突き付けるような終わり方。パレスチナイスラエルの問題を扱った映画なのだが、本作は宗教とかそういったものにことさら重点を置いた描き方ではないためか、自由を制限された状況下にいる人々のドラマとして、多くの人の心に響く作品だと思う。

アップリンクの『webDICE』の特集記事をはじめ、監督インタビューやレビューもたくさんあるので、観終えてから読むとより一層理解しやすくなるし、様々なテーマで読み解けるからすごく興味深い。

映画『オマールの壁』公式サイト