「テロルと映画」(四方田犬彦著)を読んでから、マルコ・ベロッキオを観た
「テロルと映画」(中公新書/四方田犬彦著)が非常に面白かったので、本書で取り上げられている映画、巻末リストにピックアップされていた映画をちょこちょこと鑑賞中。
本書の1章分を割いて言及されているマルコ・ベロッキオ作品については、『眠れる美女』しか観たことがありませんでした。ただ、自分にとって『眠れる美女』の印象はとても大きく、これは!ベロッキオのほかの作品も観なければ!と思っていました。ストーリーや「尊厳死」というテーマももちろん大事なのですが、それよりも映像表現そのものが自立している感じにびっくりしたのです。
今回、手始めに観てみたのは『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』。物語世界の中に出てくる多数のスクリーン、登場人物の回想シーンというよりはコラージュのようにして頻繁に挿入されるニュース映像(あるいはそれ風のもの)など、多層的な語りはベロッキオの特徴のようです。『眠れる美女』を観たときにベロッキオすごい!と感じたのもまさにこういった映像表現で、そのときはこの感動を言葉に上手く表せなかったんですよね、私の頭では……。しかし本書で四方田氏はこう書いています。
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「端的にいってベロッキオが目的としているのは、映画で政治的事件を描くことではなく、映画を政治として成立させることなのである。」
『テロルと映画 スペクタクルとしての暴力』(中央公論新書/四方田犬彦著)P152
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具体的にベロッキオ映画のどこが好きなのだろうか?ともやもやしていた私はこの文章を読んでめちゃくちゃ腑に落ちました。『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』で歴史的出来事・人物を描くにあたり、ベロッキオ監督は多くの人が共通の記憶として持っている映像(ムッソリーニの顔、ムッソリーニが演説する姿、その演説に熱狂する群衆……)を上手く利用するように試みながら映画を作っているのではないだろうか、と個人的には思いました。ただ、本作は“ムッソリーニの恋愛模様を描いた史劇”って感じではないので、そういったドラマを期待している方はやめたほうがよいと思います。
ちなみに「テロルと映画」のベロッキオの章は『夜よ、こんにちは』に関する考察が大部分を占めていて、この考察も素晴らしいので、次は『夜よ、こんにちは』を観ないと!です。